ものを考える 2/2
>あなたは「自律自走人材」になれるか?
それは我が国の伝統との戦いですね。
> 「自律自走人材」になるためには、まず、自分自身が何者なのかを深く見つめて、人生の目的や意味を再発見し、自分の「志」を結晶化して、チームと共有することだと宇佐美 [潤祐] 氏は言う。
‘我々は何処から来たか’、’我々は何者であるか’、’我々は何処に行くのか’ といったような哲学的命題を考えてみる必要がありますね。我々日本人は、無哲学・能天気の民としてとどまるわけにはいきません。
> 個人の「志」は、青臭くて気恥ずかしいものだが、それを互いに共有し合えば、チームとしての「志」を持つ個人の連帯が生まれ、強い絆で状況変化にも臨機応変に対応し、全員で立ち向かえる組織になるという。
青臭くて気恥ずかしいとは、青雲の志 (高位・高官の地位に至ろうとする志) のことですか。
>ここでふと、もともと終身雇用制がとられていた伝統的な日本企業ならば、社員は会社に高い忠誠心や愛着を持ち、絆も強いのではないかと考える。 >だが、そのようなイメージはもはや過去のものだという。
序列社会に序列人間がいなくなったのですね。
>2011年から2012年にかけて行われた調査によれば、日本で「会社と強い結びつきを感じている」と答えた人の割合は、たったの7%。
日本人の自己の序列に対する帰属意識の衰退ですね。
>他国を見ると、アメリカ30%、オーストラリア24%、イギリス17%、ドイツ15%で、日本は先進国中、最も低い数字だった。
欧米には序列社会 (上下社会・縦社会) はありませんからね。彼らは序列以外の関係で会社に結びついているのでしょう。
>ただし、宇佐美氏の主張は、決して「欧米企業並みになろう」というものではない。 >そこには行きすぎた個人主義のわなが潜むと考えるからだ。
‘個人主義の罠’ とは何ですか。
>あくまでも、会社やチームに重きを置く本来の日本人・日本企業ならではの特質を生かして、個人を「自律自走人材」に育てることで、欧米企業にはまねのできない強いチーム能力を生み出すようになるというのが「リード・ザ・ジブン」の目的なのである。
自律自走とは、’自主独立の気風’ と ‘能動的な活動’ を指すのですかね。
> 宇佐美氏の手法は重層的で、個人の深層心理へと掘り進みながら、地中深くに眠っていた情熱の間欠泉を掘り当てるような激しさも伴う。 >まずは、自分の人生を振り返り、イベントごとのモチベーショングラフを記入した人生曲線を描くことで、自分の持つ要素や、価値観などを言語化し、熟考する。 [motivation: 動機付け] >次に、この人生曲線をチームメンバー数人でシェアする。
>同僚や部下は、毎日顔を合わせていても、実は知っているようで知らないところがあるものだ。
個人の考え (非現実) の内容はまちまちですからね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから正解は一つできない。
>だが人は、お互いの物語を知れば知るほど、多面的に理解することができ、好感度や親密度が高まるという。 >絆づくりには大切な作業なのだ。
なあなあ主義かな。‘なれ合い’ にならないと良いですね。なあなあ主義とは、真の意味での検討や意見の交換などはせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
>人生曲線をシェアしてフィードバックし合うことで、自己肯定感が高まる効果もあるという。
それは幸運なことですね。
>もちろん厳しい意見も出るが、自分自身すらあまり振り返って来なかった自分の人生に対して、他人が注目してくれることは、貴重な体験となる。
そうですね。
>宇佐美氏は、この自己肯定感こそが、自分にも「志」を実現できるのではないかという自信を醸成することにつながるという。
自己否定からの脱却ですね。成功を祈ります。
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