内山節氏 1/2 

 

>361370 『私たちは無意識のうちに、 日本の共同体から生まれた基層的な精神を回復しはじめた』

>山本紀克 ( 31 会社員 ) 20/10/30 AM00 【印刷用へ】 

>内山節『私たちは無意識のうちに、 日本の共同体から生まれた基層的な精神を回復しはじめた』リンクより引用です。

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>■自分のやりたいことが、みんなのためにもなる

> 森林ボランティアの活動は、日本の森に活力を取り戻す活動としてはじまった。

 

林業は採算に合わなくなりましたね。   

 

>もちろん市民のできることには限界がある。>それでも可能なところから手入れをして森の活力を取り戻すだけでなく、私たちもまた森とともに生きる活力を取り戻していく。 

 

ゆとりの生活ですね。  

 

>そのためには安定した林業労働や経営ができる社会をつくりだすことも必要だったし、木材加工や建築の問題も含めて、山の木を循環的に利用していく社会をつくることも課題だった。 > (略)

>  ところでボランティア的活動について考えてみると、世界的にはそれを神への奉仕としてとらえる傾向が強かった。 

 

神様がボランティア的活動を望んでいるのですね。   

 

>他者を助けることが神の意思にもかない、そういう活動のできることが、神に選ばれた人の証拠でもあるというとらえ方が、ボランティア活動を生みだしたひとつの基盤であった。 

 

神様が一人なら、その意思も一つですね。   

 

>  ところがこの発想は、日本の大多数の人たちには通用しない。 >なぜなら伝統的な日本には絶対神は存在せず、唯一の神との関係で自己をとらえる精神は定着していないからである。

 

無哲学・能天気な人々には自己の ‘あるべき姿’ の世界は存在しませんね。自己のあるべき神も存在しませんね。      

 

>だが日本の社会は、昔から、ボランティア社会としての一面をもっていた。  

 

日本人には意思がない。日本人が行動を開始するのは、事の次第・成り行きによる。そこにはリーズン (理性・理由・適当) が存在しない。だから日本人のリーズナブルな答えは期待できない。説明責任が取れない。   

 

>ごく当たり前のことのように、人々は助け合いながら暮らしていた。

 

そうですね。生物が群れをなして暮らすのと同じですね。  

 

>とすると、この精神はどこから生まれていたのだろうか。>  それは共同体がつくりだした精神だったといってもよい。 

 

半ば生物の持っている本能的なものでしょうね。   

 

>日本の共同体の構造は、中世期、つまり鎌倉時代から戦国時代にかけてと、近世期の江戸時代とでは大きく異なる。 >中世は農民が武装し農民武士団を形成した時代で、一族郎党が管理するかたちで農村は運営されていた。 >ところが江戸時代になると兵農分離がすすめられ、武士は城下町に移動する。 

 

武士は町で藩士になったのですね。  

 

>その結果武士のいない村、役所のない村が生まれ、村の運営は惣村自治に任されるようになった。 

 

武士は村では郷士になりましたね。  

 

>中世共同体もひとつの自律的共同体のかたちではあったが、江戸時代になるとそれとは違う自律的共同体のかたちがつくられたのである。 >  こうして、村は自分たちでつくっていく共同体になった。 

 

人別帳もできて村は序列社会の単位になりましたね。

 

>もちろん共同体の人々も、一人一人は自分のやりたいこともあるし、それぞれ行為がある。 

 

しかし、’不自由を常と思えば不足なし’ ですね。   

 

>その自分の行いが、共同体のみんなのためにもなることを、人々は願うようになった。 

 

人の振り見て我がふり直せ。出る杭は打たれる。    

 

>その精神はいまでも残っていて、だから私たちは自分の利益だけを考える人に出会うと親しみを感じないし、ときに軽蔑さえしている。 

 

そうですね。金銭は手段にはなるが、目的にはならない。だから、守銭奴は尊敬が得られない。いつまでたっても目的達成には至らないからである。      

 

>  といってもそれは、みんなのために自分は我慢するとか、やりたいことを放棄するということではない。 >自分のやりたいことが、みんなのためにもなるということである。 

 

建前 (言い訳・口実・言い逃れ) と本音 (私意・我儘・身勝手) の世の中ですね。   

 

>そういう行為のあり方をみつけだすと、いまでも多くの人たちは精神的な安定感を獲得する。 

 

二宮金次郎のような人のことですね。 

 

 

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