日本主義 2/3

 

>さらにいえば、自由平等博愛主義、あるいは民主主義も、私達日本人には理解し難い面があります。>どういうことかというと、自由平等博愛主義というのは、自由は放縦を招き、平等は努力しないで分け前だけよこせという欲得を招き、博愛はときに心を鬼にして戦わなければならないことを否定して人々の弱さを招くということです。

 

そうですね。日本人には非現実の内容がありませんからね。

 

> 努力しない仕事をしない社員が、俺は自由だ、社員なのだから一生懸命努力してがんばっている社員も、さぼっているオレも、同じだけの給料をよこせ、会社のカネを横領しても博愛主義で許せ、などと主張しても、それで会社がよくなるかといえば、絶対によくならない。ということは、国家も、果ては人類さえも、自由平等博愛主義の先には、放縦と我がままと不正の横行する社会が待っているということにしかならないのです。 

 

そうですね。それは困ったものですね。あるべき姿 (非現実) と現実を短絡的に結んで判断することによる禍ですね。

 

> 欧米型民主主義も同じで、欧米型民主主義は、実は「民衆は神の意思のもとにある」という原点に立脚しています。>ですから米国における大統領選挙も、大統領を選ぶ国民は、神の意思に基づいて投票しているのだし、選ばれた大統領も就任に際して、神の祝福を得て、はじめて大統領となります。

 

意思は未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思 (will) がない。 

日本人には意思がなく、日本の神にも意思がない。意思ある人々の習慣を猿真似で取り入れるのは難しい。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。

意思は文章になる。だから意味がある。恣意 (self-will) はバラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するから文章にはならず意味がない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>けれど、こうした価値観は、そこに「神を敬う」意思をもたないもの達が多く入り込むと、まったく別なろくでもない社会を招きます。> 典型が、昨今の民主党で菅◯人が選ばれた代表戦で、外国人にカネを渡し、組織的に指揮された外国人票を大量に入れることで、選挙に勝つという、とんでもない現実が起こる。 >カネも神のうちだという考え方もあるかもしれませんが、そんなことが庶民のためにならないことは、歴史が証明しています。 > 嘘と偽りで地位を得た者は、結果として偽りの世界しか招かないのです。

 

そうですね。

 

>しかし、振り返ってみると、日本という国は、古来、さまざまな政治体制をひき、都度、いろいろな矛盾を抱えながらも、つねに成長し、進化し、その矛盾をできるだけ極小にしながら、人々の暮らしを靖んじてきました。>けれど、みんなが家族となることによって、国法を保管している正倉院さえも、入り口にある鍵は、封印の紙一枚だけで済む。紙切れ一枚で、誰も泥棒にはいろうなどと思わない。

 

以心伝心・不立文字’ (文字・言説を以て伝えることができず、心から心へ伝るもの) ですか。

 

>ザビエルが指摘したように、日本は最高に優れた民族であり、親しみやすく、善良で、悪意がなく、誰もが名誉を重んじる理想国家を築いています。

 

ザビエルも布教などせずに最高に優れた民族の国民になればよかったですね。

 

>おそらく、いま日本の保守、とりわけ真正保守を自認する人々の中で、江戸幕藩体制に還りたいとか、明治の薩長政権国家に還りたいとか、あるいは律令国家に戻りたいとか考えている人は、まずいないし、理想のために人を殺したいとか、他国を侵略したいとか、そのための戦争をしたいと思う人も、誰もいません。 >なんとかしてみんなで助け合い、仲良くして、ともに学び、ともに笑い、ともに助け合い、手を携えてより良い未来を築きたいというのが、多くの日本人の本音です。 >つまり、大多数の日本人はいまでも「日本主義」なのです。

 

そうですね。無哲学・能天気ですね。’良い’ 何であるのかを考える余地がありますね。

 

> 「戦後保守」は、その日本を壊そうとする勢力と、真剣勝負で剣を抜いて戦いました。 >そしてその戦いは、反共、反米、反中、反韓等と、さまざまに進化してきています。

 

そうですね。戦後保守は、決して異民族を包括しようとはしませんでしたね。

 

 

.