落合陽一氏 1/3

 

>大森久蔵 ( 30代 専門職 ) 18/05/21 AM00 【印刷用へ】 >落合陽一氏の「日本再興戦略」

> 現代の日本の状況と可能性を端的に記しており、非常にわかりやすい。> 曰く、今の日本人に必要なのは、西洋的思想から東洋的思想への転換。>その為の「近代教育における洗脳からの解放」。 >みな、行きつくところは「教育革命」 

 

何がどう変わるかを説明してくださるとありがたいですね。

 

> 以下ポイントを紹介したい。 >-------------------------------------------------------------

>◇高度経済成長を支えた洗脳システム

>高度経済成長を支えたのは > ・均一な教育 > ・住宅ローン > ・マスメディアによる消費者購買行動 >つまり、国民に均一な教育を与えたうえで、住宅ローンにより家計のお金を奪い、マスメディアによる世論操作を行い、新しい需要を喚起するという戦略。>このシステムは大量生産型の工業社会、トヨタの車をつくる、ソニーのテレビをつくるのには向いていたが、現代では通用しなくなっている。> 高度経済システムの根本になるのは、「欧米」というユートピア的な概念。 

 

欧米を離れて、新しいものを作るのですか。均一が良いのか、個性的が良いのか。欧米から技術を学んで我々がわが国の均一化を助長したのでしょう。

 

>◇「欧米」というユートピア

> ・そもそも「欧米」というのは存在しない。>欧州とはユートピアであり、日本人の心に中にしかないもの。 

 

そうですね。それは理想郷 (非現実) ですね。

 

>・日本人は外来的に入ってきたものをすべて「欧米」と呼んで、いろんな分野で各国の方式を組み合わせてきた。>・そして、いいとこ取りをしたつもりが、時代の変化によって悪いとこ取りに。 

 

人間の作ったものに完全なものは無いでしょうからね。時代の変化に追いついてゆくか。それとも時代の変化を先取りするか。

 

>・だからこそ、「日本には何が向いていたのか」「これから何が向いているのか」を歴史を振り返りながら考えていかないといけない。

 

そうですね。歴史哲学が必要ですね。大いに知恵を出し合ったら良いですね。

 

>◇西洋的な個人の時代不適合性

>・日本には「近代的個人」という考えは向いていない。

 

そうですね。わが国民には個人が確立していませんね。ですから、個人に対する信頼もありませんね。兎角、この世は無責任。

 

>・そもそも日本には「個人」よって成り立つ「国民国家」という感覚が薄い。

 

そうですね。わが国には個人がない。各人に考えがあれば、その内容は人様々になる。だから、人には個性があることが理解される。そうでなければこの国はご唱和の世界のままである。

 

>・基盤がないのに、無理して「個人」を目指した結果、現代では個人に伴う「孤独感」が強くなってきている。

 

そうですね。‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)  だから、序列の絆を柱とした序列社会が人々に好まれているのでしょう。個人の考え (非現実) を確立させられないところが大きな問題ですね。

 

>・歴史を振り返ると、江戸時代には日本人は長屋に住んで、相互依存的に生きていた。 >それを自分から切ってしまったことでバラバラになってしまったという事。

 

そうですね。日本人は、寂しくてたまらないですね。個人の尊厳には縁の遠い民族ですからね。

 

>・西洋的思想の根底に流れるものは、個人が神を目指す、全性能に近づいていく思想。

 

そうですね。西洋人は完全なものにあこがれますね。

 

>・東洋的思想は、一言で言ったら「自然」日本人はどこまでいっても自然の中にある同質性・均質性に紐づいている。

 

そうですね。自然の中には意思がない。自然は頭の外にあって、意思は頭の中にある。意思は、未来時制の文章内容になっている。印欧語には時制 (tense) があって、日本語にはそれがない。だから、印欧語族には意思があって、日本人には意思がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.  仕方がないので、日本人は無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

 

>・これからの日本人にとっては、西洋的人間性をどうやって超克して、決別し、更新しうるかが非常に重要。

 

そうですかね。それにしても、まず国際的な相互理解が必要ですね。

 

 

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