山口周氏 2/4

 

>  20世紀に活躍したハンガリー出身の物理学者・社会学者であるマイケル・ポランニー(*3)は「我々は、自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている」と言い表しています。 >  今日では、この「語れること以上の知識」を私たちは「暗黙知」という概念で日常的に用いていますが、言葉によるコミュニケーションでは常に、この「こぼれ落ち」が発生していることを忘れてはなりません。

 

そうですね。暗黙知は議論・対話の対象にはなりませんね。

 

>②につづく 

>349645 【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ② >紀伊谷高那 ( 34 会社員 ) 19/09/24 PM07 【印刷用へ】 

>【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ② >(リンク)より転載

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>■「要するに」は、パターンに当てはめるだけの最も浅い理解

>  さて、話を元に戻せば、この「要するに〇〇ってことでしょ」という聞き方には当の聞き手にとっても問題があります。 >なぜなら、過去に形成されたパターンに当てはめて短兵急に理解したつもりになってしまうことで、新たなものの見方を獲得したり、世界観を拡大したりする機会を制限してしまうことになるからです。 >  変化の激しい今日のような時代にあって、このような行動様式は学習を阻害するものであり、まさにオールドタイプのパラダイムと断じるしかありません。

 

そうですね。

 

>  私たちは、無意識レベルにおいて、心の中で「メンタルモデル」を形成します。 >メンタルモデルというのは、私たち一人一人が心の中に持っている「世界を見る枠組み」のことです。 >そして、現実の外的世界から五感を通じて知覚した情報は、そのメンタルモデルで理解できる形にフィルタリング・歪曲された上で受け取られます。 > 「要するに○○でしょ」というまとめ方は、相手から聞いた話を自分の持っているメンタルモデルに当てはめて理解しているに過ぎません。>しかし、そのような聞き方ばかりしていては、「自分が変わる」契機は得られません。

 

そうですね。

 

>  MITのオットー・シャーマーが提唱した「U理論」においては、人とのコミュニケーションにおける聞き方の深さに関して、4つのレベルがあると説明されています。

> 【レベル1】自分の枠内の視点で考える  > 新しい情報を過去の思い込みの中に流し込む。 >将来が過去の延長上にあれば有効だが、そうでない場合、状況は壊滅的に悪化する

>【レベル2】視点が自分と周辺の境界にある > 事実を客観的に認識できる。 >未来が過去の延長上にある場合は有効だが、そうでない場合は本質的な問題にたどり着けず対症療法のモグラ叩きとなる

>【レベル3】自分の外に視点がある > 顧客の感情を、顧客が日常使っている言葉で表現できるほど一体化する。 >相手とビジネス取引以上の関係を築ける

>【レベル4】自由な視点 >  何か大きなものとつながった感覚を得る。 >理論の積み上げではなく、今まで生きてきた体験、知識が全部つながるような知覚をする

> これら4段階のコミュニケーションレベルのうち、「要するに○○でしょ」とまとめるというのは、最も浅い聞き方である「【レベル1】ダウンローディング」に過ぎないということがわかります。

>  このような聞き方では、聞き手はこれまでの枠組みから脱する機会を得ることができません。

 

非現実の内容は、頭の中にある。だから、外から見ることができない。ただの話である。その話の内容を知るには文法に従って文章を理解するしかない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、通常 ‘理解’ をしない。その代わりに忖度 (推察) を使って間に合わせている。しかし、忖度と理解は似て非なるものであるために要注意である。忖度は聞き手の勝手な解釈であるために、話者には何の責任もない。両者の間に齟齬が生じても議論にもならない。聞き手には現実直視ができていない。話し手の文章の内容を理解できていない。

 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

 

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