先の大戦 2/2

 

>また、日本が欧米諸国の植民地支配を認め、人種の不平等を容認すれば、日本一国は私権を持つ人間としての扱いを受け続けることができたかといえば、これもまた疑問です。  

 

日本人には ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容というものがないのではないでしょうか。

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)   

 

>大陸における権益を放棄した時点で、日本は弱腰とみなされ、強く要求すれば日本がこれを飲むという状況になれば、日本にはその後も次々と無理難題が押し付けられ、おそらくは結果として日本自体も解体され、分割統治され、植民地支配されることになり、日本人は日本人としての文化性さえも、完全否定されることになったことでしょう。 

 

何か被害妄想じみていますね。日本人には自信が無く、はそれほど欧米に対して卑屈になっていたのでしょうか。それならば、欧米人とまともな交渉ができない状態にあったのでしょうね。 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)  

 

>つまり、昭和16年12月の時点では、もはや日本には戦うしか選択の余地がなかったといえるわけです。 

 

わが国の政治家は何をしていたのですかね。 

日本人には意思がない。英語においては ‘意思’ は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には他力本願・神頼みをすることになっている。

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)  

 

>まさに当時永野修身元帥が述べたように、>「戦えば亡国、戦わざるも亡国」 >であったわけです。

 

軍人は戦うより他に役割はないですね。 しかし、政治家には戦わなくてもよい知恵があるはずです。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかくこの世は無責任。    

彼を知り己を知れば百戦危うからず。 (孫子・謀攻)

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)