考えるな・悟れ 1/2

 

>358950 考えるな、悟れ。東洋哲学の「身もふたもない」神髄 >別所彦次郎      20/08/02 PM09 >リンクより引用

> ***

> 『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』河出書房新社 > 飲茶/著

> 本書で扱われるのは、東洋哲学である。 >しかしその前にまず、西洋哲学と東洋哲学の違いを理解しておかなければならない。 >この両者はまったく違うものであり、その違い故に東洋哲学がどれだけ理解しにくい思想体系なのかということを、まず理解しておかなければならない。

 

東洋哲学に思想体系があるのですかね。  

 

>本書でも冒頭で、こんな風に書かれている。 > * >まず最初にはっきりと断っておくが、本書を読んで東洋哲学を理解することは不可能である >*  

 

そうでしょうね。  

 

> 何故そう言い切れるのか。 >まずはその辺りから理解していこう。 

 

日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。 だから、リーズナブルな答えは期待できませんね。

 

>まずは西洋哲学から。 >西洋哲学というのは基本的に「無知」を前提とするらしい。 >自分はまだ何も知らない、というところから始めて、色んな人間が知力を振り絞って、一段ずつ階段を上がるようにして知を積み上げていく。 >誰かが何かを言ったら、それを土台にして、あるいはそれを蹴飛ばすようにして新しい考え方を積み上げていく。 >そうやって、大勢で知恵を振り絞って遥かな高みを目指そうではないか。 >これが西洋の考え方である。

 

そうですね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。 

 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

政治に関する考えは、政治哲学になる。宗教に関する考えは、宗教哲学になる。歴史は歴史哲学、科学は科学哲学、人生は人生哲学になる。等々。

政治家には政治哲学が必要である。そうでなければこの国の政治は政治音痴になる。遠い未来の自分自身の行き着く先を想定できないでいる。これは、日本語文法に時制がないためであろう。日本人には世界観が持てない。来るべき世界の内容が日本人の深刻な話題にならない。

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。(ウスビ・サコ)  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク) 

これでは、衆愚政治である。これは極めて危険な政治状態である。  

 

>しかし東洋哲学はまったく違うのだ。 > * > (東洋哲学とは)ある日突然、「真理に到達した」と言い放つ不遜な人間が現れ、その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたものであると言える。 > * >この説明だけで、どれだけ両者が違うのか理解できるだろう。 >東洋哲学には、最初から真理があるのだ。 >何故そこにたどり着いたのか、どのようにたどり着いたのかという過程はとりあえずどうでもいい。 >まず真理にたどり着いたと主張する人間がいて、その教えを様々に解釈して生まれるのが東洋哲学なのだ。 

 

文章も無く、文法も無く、理解も無く、様々な人が自分勝手に様々な解釈をするのですね。 

 

>そういう理由で、仏教に様々な宗派が生まれることになる。 

 

仏教以外の宗教でも様々な宗派があると思いますがね。  

 

> ~中略

>さらに本書で指摘されているのは、「知ったとみなされる状態」についてである。 >本書ではこう説明されている。 > * > 西洋であれば、「知識」として得たことは素直に「知った」とみなされる。(中略) >しかし、東洋では、知識を持っていることも明晰に説明できることも、「知っている」ことの条件には含まれない。 >なぜなら、東洋では「わかった!」「ああ、そうか!」といった体験を伴っていないかぎり、「知った」とは認められないからだ >* 

 

なんだか ‘なあなあ主義’ に似ていますね。

‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。  

 

 

 

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コロナ後の世界

 

>358940 コロナ後の世界地図、中ロVS西側諸国  >ぴぴ         20/08/02 PM00  >以下、「世界のニュース トトメス5世」 リンク より

>* * * * * * * * * * * * *

>2020年07月29日06:37  >コロナ後の世界地図、中ロVS西側諸国

>●中国をめぐる対立が激化

> 2020年は新型コロナウイルスによって様々な分断が起き、欧米や日本では国内の対立が鮮明になった。 > 各国間でも利害が対立し、特に中国とアメリカは関税や貿易を超えて価値観や民主主義の違いがはっきりしてきた。 

 

中国には個人主義がないから民主主義もない。  

 

> 1970年代のニクソン訪中からアメリカは「中国は例外」という態度を取り甘く対処してきた。 > 今は共産主義国だが経済成長すれば民主主義に近づくというような、甘い夢を持っていた。  

 

アメリカ人は未来社会に関する建設的な夢を持っていますからね。彼らは勉強不足で挫折することも多い。  

 

>だが中国はGDP世界2位になっても依然と変わらず、より一層閉鎖的で強固な態度を取っている。

 

そうですね。中国は伝統的な覇者の国ですからね。政権が変わっても中国人の中華思想は変わらない。中国人は外国人の考えを取り入れるのが下手ですね。

漢人 (中国人) は、自分たちの考えを表すために漢字を発明した。しかし、彼らは外国人の考えを表すための漢字は作らなかった。だから、漢文により中国人が外国人の考えを知るのは難しい。  

 

>コロナウイルスは中国の武漢で発生したが、今もそれを認めず「アメリカが撒いた」などと言っています。 >WHOを使って被害者になろうとしたり、欧米諸国の対中感情はかなり悪化しました。 > 5月には香港に中国国内法適用を開始し、欧米は人権問題として容認しない姿勢を見せている。 

 

中国人に人権は無いでしょうね。 天安門事件を見れば中国政府の頭の中がわかりますね。 ‘力が (彼らの) 正義です’ ね。  

 

>すると中国はより一層強硬な態度を取り、周辺諸国を取り込んだり軍事力増強に励んでいる。  

 

そうですね。中国は世界の中心ですからね。他国のような周辺諸国ではない。  

 

>●西側諸国は結束できるか

>西側諸国は中国が驚異の経済成長をしている間、金のためなら何でも見逃すような態度を取ってきました。  

 

共産主義者が金持ちになったらどのようになるかは誰にもわからなかったですね。  

 

> 英仏独の首相は頻繁に北京を訪問して褒め称え、中国からの投資や中国の輸入を懇願していた。  

 

これもひとえに金の為ですね。  

 

>これが中国に勘違いを起こさせたのは確実で、「我が国は何をやっても良い」というような考えに至った。  

 

世界各国の称賛により中国人は伝統的な中華思想に自信を得ましたね。漢字の国は変わりませんね。  

 

> 恥ずかしい事だが日本も一役買っていて、安倍首相は今も習近平国賓来日を実現させようとしている。  

 

和を以て貴しとなす’ ということですか。これも ‘バカの一つ覚え’ ですね。 

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には ‘他力本願・神頼み’ の消極的人生になる。

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

 

>だが安倍首相が尻尾を振れば振るほど中国は日本を見下し、連日尖閣諸島沖で威嚇を繰り返している。  

 

そうですね。それが礼儀作法 (序列作法) というものです。 

 

>コロナウイルスは自由で民主的な国ほど感染拡大し、その逆の国ほど感染が少なかった。 > 中国やロシアのような国は西側諸国に比べて打撃が少なく、比較すると利益を得たかもしれない。 

 

そうですね。不自由を常と思えば不足なし’ ということでしょう。  

 

>だが西側諸国は警戒を強め、一時疎遠になったアメリカと欧州は再び接近している。 > 世界は中ロを中心とした東側と、欧米を中心とした西側に別れ、コロナ以前より対立的な関係になるでしょう。 

 

そうですね。’東は東、西は西’ になるでしょうね。  

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。日本人は意思が無いので常に傍観者になっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。日本は、世界一の平和国家なのでしょうかね。

 

> (以上) 

 

 

 

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ポンペオ演説

 

>358902 「積極的関与」政策の失敗は米国の得意芸である >井上誠 ( 53 ) 20/07/31 PM10 【印刷用へ】 

(略)

> 天木直人さんのブログ(リンク)からの引用です。

>***************************************************************

> ポンぺオ米国務長官の対中批判演説は、米国の中国に関する積極的関与政策の誤りを求めることから始まった。 >  すなわち、ニクソンキッシンジャーが国交樹立して以来、米国の対中政策は、関与を深めることで中国の経済的・政治的な開放を促し、中国がより開かれた国になることを期待するというものである。 >  その期待は中国共産党によって裏切られた。>  だから力づくで中国を懲らしめるしかない。>  これがポンペイ演説だ。 

 

本当に中国は懲らしめるしかないですね。  

 

>  しかし、米国が「積極的関与」政策の失敗を認め、圧力外交に転じたのは、今回が初めてではない。 >  私は1980年代の中ごろに、南アフリカの白人政権による黒人隔離政策(アパルトヘイト)の撤廃問題に取り組んだことがあった。 >  あの時アメリカは南アフリカの白人政権に対しては圧力をかけるのではなく、建設的に関与して白人政権を正しく導いていく事を主張した。 >  おりからその時はレーガンサッチャー時代であり、英米が連携して南アフリカの白人政権の肩を持つような印象を世界に与えていた時だった。 >  しかし、南アフリカの白人政権の黒人弾圧政策に対する国際的非難は高まる一方で、最後は米国が率先して南アフリカの白人政権に対する金融制裁(投資規制)に踏み切ったため、南アの白人政権はあっという間に崩壊し、圧倒的多数でマンデラ率いる黒人政権が誕生した。 

 

良薬は口に苦し’ ですね。南アにおける黒人政権の樹立ですね。

 

>  かつて米国も黒人差別政策をとった国であり、80年代にはさすがに米国黒人は市民権を得ていたが、それでも米国は黒人差別問題を抱えていた。 >  うちなる圧力で、米国は、最後は南アの白人政権に厳しくならざるを得なかったのだ。 

 

米国は民主主義の国ですね。  

 

>  今度の米国の中国に対する積極的関与政策の失敗は、南アフリカ白人政権に対する積極的関与政策の失敗とは性格が異なる。 >  あの時は、人種差別に反対するという国際社会の一致した声があった。 >  しかし、今度の中国に対する積極的関与政策の失敗は、大国同士の覇権争いからくるものだ。

 

中国人には中華思想がありますからね。中国は覇者の国ですから他国の指導には従いませんね。

 

>  そして中国との覇権争いでは米国は一致団結して中国の覇権主義を許さない。  

 

アメリカはもう一度偉大な国になりたいのですね。  

 

>  どちらの覇権が正しいについて国際社会は一致することはなく、分断されることになる。

 

矛盾含まない文章は全て正しい考えを示している。考えは人様々である。だから、正解は一つではない。幾らでもある。

 

>  はっきりしている事は、米国の傲慢さと、傲慢さの故の米国の政策のブレだ。 

 

アメリカ人には意思がある。彼らは意思の自由を主張する。彼らは自分の意思次第です。  

 

>  日米同盟しか選択肢はないという対米従属を続けるかぎり、日本外交は迷走させられ、最後は梯子を外されることになる。

 

そうですね。日本人特有の序列メンタリティの継続による被害がかんがえられますね。  

 

>  トランプ大統領の今こそ、日本は自主、自立した外交を確立しなければいけない時だ。 

 

そうですね。トランプ大統領は日本の自主・自立を促していますね。

 

>  戦後75年間、一度も経験しなかった国際状況に差し掛かったということだ。

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。仕方がないから無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>  それは困難な状況であるが、これまでが恵まれすぎていたのだ。>  米国一辺倒でいればよかったのだ。 

 

無意思な人間にしか味わえないような恵まれた状況でしたね。 米国は、日本の ‘あんにい’ (兄貴) でした。

 

>  しかし、それが異常だったのだ。

 

そうですね。まともではないですね。大人としては異常ですね。

 

>  困難な国際状況は、これからは常態化していくと覚悟すべきだ。  

 

そうですね。自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。 

 

>  米国との関係さえよければいいという時代は確実になくなっていくということに、日本政府も国民も気づかなくてはいけないのである(了) 

 

そうですね。我々は、序列メンタリィティの虜になってはいられませんね。日本語と英語の勉強が必要ですね。

 

 

 

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メディアリテラシー

 

>338102 メディアリテラシーの重要性  >匿名希望 ( 40代 会社員 ) 18/08/13 PM10 【印刷用へ】 

>平和祈念式典においてデモが行われていたという事実は、この記事を読んで初めて知った。 >デモの背景には安倍政権(日本)核兵器禁止条約に参加しなかったという事象が有り、それがこのデモを更に激しくしていたという。 

 

わが国は、世界で唯一の被爆国ですからね。  

 

>しかしこの記事によると、デモ自体は実は毎年行われているらしく、そうするとこれまで報道されてこなかったことに違和感を感じてしまう。 

 

報道には知らされない事実もありますからね。  

 

> NHKの報道でこういった事例が表面化したのは報道規制が敷かれていない証拠とは言えるが、一方で既存のメディアが、政権や各種のスポンサー企業に対して自主規制している状況は極めて不健全で、特に新聞や新聞社系列のTV局がまだまだ主要なメディアのポジションを占め影響力を保持している為、ニュースの劣化を感じざるを得ない。  

 

そうですね。日本人は権力者に対する忖度 (推察) が得意ですからね。

 

>もちろん世界中で起きている残酷な紛争・戦争や凄惨な事件を連日報道するのが健全とは思えない。

 

アメリカの週刊誌 ‘TIME’ などは残酷な写真ばかりを沢山乗せていますね。

 

>だが、若い女優とIT企業の経営者が恋愛している話題や、アマチュアボクシングのトップの言動などを、面白おかしくワイドショー的に報じている日本のメディアには、報道する側の哲学や矜持を感じられないし、先述の平和祈念式典の事例同様に知られたくないニュースの隠れ蓑にしているのでは?と勘ぐってしまう。

 

無哲学・能天気の編集者と同程度の読者は共同作業に入っていますね。かくして、日本人の世の中は浮世と憂世で出来上がっています。

 

> 同時に、ゴシップネタがこれだけ世間を席巻するのには、観る側がそれを欲しているという事実も見逃せない。  

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。真面目になれない。非現実 (過去・現在・未来) の内容に関する深刻な思索生活には入れませんね。

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 我々は考える人 (the thinking man ) にならなくてはならない。  

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  

 

>そうなると、本来で有れば知るべきニュースが後回しになり、気づかない間に色んなことが進んでいるという現象も起きるし、それ以上に怖いのは、フェイクニュースがあたかも事実であるかのように流布することではないだろうか。  

 

そうですね。我々はフェイクの中に埋没してしまいますね。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)   

 

>アマゾンがワシントンポストを買収するなど企業が歴史的な報道機関を保有したり、資本関係が入り乱れて利害関係が複雑な報道機関も有るので、何を持って信頼の置ける報道機関とするのか判断は難しいが、有象無象の情報に流されずにそのニュースの真贋や価値を見極める必要性を痛感する。

 

そうですね。現実の内容にはただ一つの正解しかありませんからね。 

 

> 例えば最近、南米のベネズエラで、マドゥロ大統領の演説中に爆発音が響いたという事件があった。 >『大統領の暗殺を目的にドローンが攻撃した。』とBBCなどの主要メディアは報じていたそうだ。 >リンク >一方で、「ドローンによる攻撃」ではないという情報も出ている。 >NBCニュースは、今回の事件は演説会場の近く建物でガスタンクが爆発したものだったという、匿名の消防関係者3人の証言を伝えている。 >ベネズエラでは今年5月にマドゥロ大統領が再選して独裁体制を固める一方で、アメリカの経済制裁を受けて混乱が続いている事実が有る。 

 

アメリカは他国内でも力を発揮しますね。  

 

> 日本ではアメリカ寄りの報道をすることが多く、情報源を国内の大手メディアに頼っていては真実を見誤るし、かといってネットに出回る情報を鵜呑みには出来ない。 > 無論全てを自身の目で確かめることも出来ないが、まずは自身でニュースの全容や詳細を複数のメディアで確かめることとか、反対にメディアとは距離を置き自身でその事象について追求してみるとか、傍観者にならずリテラシー能力を高めなければと感じた。 

 

そうですね。わが国の学校では鵜呑みにする能力しか開発されていませんね。  

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。 

 

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偏差値教育の打破

 

>358900 偏差値教育を打破しろ。 >日本の大学は期待の人材を出せなかった。 >匿名希望          20/07/31 PM09

(略)

> 以下、転載 >リンク

>理事長就任を発表したのは16年度末の17年3月。 >翌17年度に募集した18年度の経済経営学部の志願者数は、前年度に比べて60%増と急増。 >早くも「永守効果」が表れた。

 

希望の持てる試みですね。  

 

(略)

>その永守氏が教育者として掲げるのが、「偏差値教育の打破」だ。 

 

それは日本人には難しいでしょうね。 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。これは ‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な上下判断 (序列判断) であって縦社会 (上下社会・序列社会) の形成に必要なものである。この世俗的な上下判断の疎かな人は、日常の日本語会話にも差し支えることになる。

‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、現在では身分よりも、勝負の成果が用いられている。これは、日本人が文明開化と共に身分制度の矛盾から解放されることを強く望んだからである。その結果、わが国の身分制度は衰えて試験制度が盛んになった。わが国の固定的な序列制度は、流動的な序列制度へと姿を変えた。何処でも、いつでも、’頑張って’ の声が聞かれるようになった。しかし、日本人の頑張る方向には問題がある。

日本人は、元来、無哲学・能天気の民族であるから、いくら序列順位の競争に励んでも、それで学問が発展するわけはない。ただ、受験競争だけが過熱する。見掛け倒しの文化国家になっている。

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 宗教に関する考えは宗教哲学になる。歴史に関する考えは歴史哲学になる。政治は政治哲学に、科学は科学哲学に、人生は人生哲学になる。などなど。

偏差値は現在の日本人社会中での都合の良い世俗的な序列判断の資料とされている。日本人の礼儀作法は、世俗の序列感に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表れに過ぎない。個人的・精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬にも浅薄さが付きまとう。

日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄な人間である。

日本人には、儀式・作法があって、教義・考えがない。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、その時の気分・雰囲気で決められている。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク) 

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実・考えは頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。 

 

>「企業経営者として、日本の偏差値教育の弊害を非常に感じている」と話す永守氏は、持論を一気に展開した。 > 日本電産は毎年、様々な大学から数多くの学生を採っているが、それでわかったことは、仕事ができるかどうかは出身大学の偏差値とは何の関係もないということ。

 

そうでしょうね。偏差値は仕事の能力の指標にはならないでしょうね。  

 

>偏差値の低い大学の出身者でも仕事のできる人は多いし、逆に偏差値の高い大学を出ても仕事のできない人は少なくない。

 

そうですね。偏差値は職業教育の成果とは関係がありませんね。

 

>昔から薄々感じていたことだが、毎年、何百人という新卒者を採用してきた経験から、今は自信を持って偏差値教育はよくないと断言できる」。

 

そうですね。偏差値は日本人の人間序列を形成するための材料に使われているだけのものですからね。仕事の ‘できる・できない’ と関係がありませんね。  

 

 

 

 

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マスコミの凋落 2/2

 

>■テレビは今後10年でさらに衰退していく

> インターネットが重要なインフラになればなるほど、世界中のマスコミの影響力は劇的に削り取られていき、ひとつの企業体として存続できないところにまで追い込まれている。 > 新聞、ラジオ、テレビ。すべての媒体でそれが起きている。 >テレビでは、視聴率もテレビの全盛期だった頃の70%や80%など、もはやあり得ない世界となっている。 > 視聴率が取れないのであれば、広告主も離れて行く。 >それによってますます制作費は削られる。 > 結果的に、くだらない番組ばかりが増えて、それがまた視聴者の離反を招く。 >テレビは今後10年でより地盤沈下していくのは避けられない。 > 新聞も購読者が激減している。 >新たなビジネスモデルが構築できないのであれば、いずれは淘汰される。

 

そうでしょうね。 マスコミによる情報の独占は地に落ちましたね。 

 

>■マスコミが凋落すると共に失うもの

> そして、マスコミが凋落すると共に失いつつあるものがある。 >それは、「世論誘導」をする力だ。 >国民を洗脳して、全員を一定方向に向ける力がなくなってしまった。 

 

政治家の指導力の減退につながりますね。  

 

>アメリカの大統領選挙を見ても分かる通り、テレビや新聞で、無理やり世論を作ろうとしても、それができなくなりつつあるのだ。 >何かを押し付ければ押し付けるほど、多くの国民が嫌悪感を持って拒絶するようになっている。 

 

これは作用反作用の原理ですね。  

 

>かつて、マスコミが押し付けて人為的にブームを作り出したら、国民全員がそれになびいたはずなのに、そうならない。

 

そうですね。世の中が開けたのですね。’葦の髄から天井を覗く’ ような人が減ったのでしょう。  

 

> 画面切り取りによる印象操作やヤラセや偏向は、ことごとくインターネットで見破られてしまうので、小細工をすればするほど逆に嫌われる。 >最近は街頭インタビューもヤラセだとバレてしまっている。 

 

世の中の透明度が高くなってマスコミも商売のうまみが目減りしましたね。  

 

>マスコミが圧倒的な露出を演出しても、国民はしらけきってそれを眺め、誰も飛びつかない。 >食べたくもないものを無理やり口の中に押し込まれれば、誰でも吐き出して気分が悪くなる。 >それを「ごり押し」というが、今までマスコミがごり押しすれば国民は何も考えずに喜んで食べてくれていたはずなのに、今はもう誰も食べない。

 

詰め込み教育も喜ばれなくなりましたね。これは嗜好の変化ですかね。 

 

>■もう世論誘導や情報操作はできない

> ごり押しするためには、巨額な資金が必要だ。 >今ではその資金を使って反感を買うのだから、マスコミが衰退しても不思議ではない。 

 

そうですね。マスコミは割の合わない商売になりましたね。  

 

>もう、マスコミが押し付けるものに飛びつく人は減少してしまって、今までのやり方が通用しなくなってきているのだ。 >それが、誰に目にも明らかになりつつある。 >すなわち、「世論誘導」も「情報操作」も効かない世の中になっているのである。 >何か小細工をしたら見破られて、世論が逆にブレる。 >これは、マスコミにとっては悪夢かもしれないが、それができたことが異常だったのだ。

 

そうですね。異常な世界からの脱出が実現しつつあるのですね。  

 

> 人間の趣味や、考え方や、生き方や、価値観や、嗜好や、関心や、興味は、みんなバラバラだ。 

 

そうですね。これは個人主義の目覚めですね。

 

>世代も人生も違うのに、意見が同じだというのはあり得ない。

 

そうですね。個人の意見に違いがあれば、それは個性的な社会に生活していることになりますね。

 

 

 

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マスコミの凋落 1/2

 

>357014 世論誘導の力を失ったマスコミは衰退へ。 >偏向報道・ごり押し批判は世界中で起きている  >柴田英明 ( 29 会社員 ) 20/05/21 PM01 【印刷用へ】 

>リンクより転載

>テレビはもうオワコン?マスコミが凋落すると共に失うものとは

>■マスコミ「報道は中立である必要はない」

>マスコミは自分たちの思うがままに「何か」をプッシュして世論を誘導しようとしている。 >その「何か」というのは、時には韓国の芸能人だったり、反日政党の議員だったり、与党のスキャンダルだったりする。 >そして、マスコミは自分たちの都合の悪い「何か」は絶対に報道しないことでも世論を誘導しようとしてきた。

 

そうですね。何を報道しなかったということもマスコミを判断する時の重要基準になりますね。

 

>たとえば、与党がうまくやっていることは報道しないし、反日政党のスキャンダルも報道しないし、中国・韓国・北朝鮮が日本国内でやっている反日工作も報道しない。 >マスコミはあからさまに偏向しており、まったく中立ではない。 >完全なるダブルスタンダードである。 > 以前は「報道は中立である」と言っていたのだが、中立ではないと見抜かれると、「報道は中立である必要はない」と言い出して偏向に邁進している。

 

そうですね。マスコミは自分自身の自己主張をすればよいでしょう。

 

> 今までずっとそうやって世論は誘導されてきた。  

 

マスコミを鵜呑みにする読者がいたからそれができたのですね。

 

>そのやり方があまりにもあからさまなので、今では自分の都合良く偏向するマスコミを人々は「マスゴミ」と呼ぶようになっている。

 

そうですね。ご都合主義であるマスコミの権威失墜ですね。  

 

>■「マスコミ不信」は世界中で起きている

>確かにマスコミは今でも巨大で、流行らせたいものを流行らせ、都合の悪いものは徹底無視して叩きつぶすことができる。 

 

そうですね。マスコミは自分勝手ですからね。  

 

>国民の意識を自由自在に操る存在だったのだ。 >インターネット時代になった今でも、マスコミはテレビと新聞を使って世論誘導をして成功しているし、これからもそれは続いていくことになる。

 

そうですね。 それがマスコミの使命であると考えられていますね。 

 

>しかし、インターネットがより浸透していく中で、マスコミのダブルスタンダードは次々に暴露されるようになり、時代は変わりつつある。 >マスコミはいまだに「巨大権力」には違いないが、その神通力はかなり削がれた。

 

そうですね。民主主義の敵である独裁政権の神通力もかなり削がれましたね。

 

> 興味深いのは、「マスコミ不信」の動きは日本だけでなく、全世界で起きているということだ。 >それは、言って見ればグローバルな動きなのである。 

 

それはインターネットの影響ですね。

 

>アメリカでは、ブッシュ政権時の2000年代からマスコミが率先して世論誘導し、国民を無益な中東の戦争に駆り立てたとして信用を失っていた。 >しかし、極めつけは2016年だった。 > 大統領選挙のあったこの年、アメリカのマスコミはドナルド・トランプをめちゃくちゃにけなし、ヒラリー・クリントンを大統領に仕立て上げようとするなりふり構わない世論操作に打って出ており、これによってマスコミは「あまりにも偏向している」と国民の総スカンを食らった。

 

マスコミのやりすぎですね。  

 

>ドイツでも、マスコミが移民・難民に対して異様なまでに好意的であったり、移民・難民の犯罪を報道しなかったり、移民・難民の反対派のことを頭ごなしに「極右」とレッテル貼りをして信用を失っていった。

 

反対派は右翼’ ですね。分かりやすい表現ですね。

 

> 中国では、もともとマスコミも政府も信用されていない。 >信用どころか、世論誘導されているという前提で国民はマスコミを見つめている。 

 

彼らは、‘上有政策 下有対策’ ですね。

 

> 世界各国で同時並行的に起きているこれらの動きは、裏側に何があるのか。 >それは、言うまでもなくインターネットの台頭が原因であるのは明白だ。

 

そうですね。’人の口には戸が立てられぬ’ ということですね。これはインターネットの威力ですね。  

 

 

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