超低学歴 5/8 

 

>冨山 そうですね。 >合格歴ですよね。 >濁点が違っています。 >「高学歴」じゃなくて「合格歴主義」(笑)。    

>小野 社会学者の小熊英二さんは『日本社会のしくみ』という本の中で、学歴について非常に興味深い指摘をしています。 >いわく、日本的経営は「学歴抑制効果」が働いている、と。 >本来なら高学歴といえば、博士号や修士号を取得していることです。 >日本の場合、特に文系だと修士号や博士号を取得していると、逆に出世できなくなるケースすらある。  

 

周囲のやっかみですかね。   

 

>ムラ社会だと修士号や博士号を持っていると「異端」に位置づけられて、「本流」から外されてしまうわけです。

 

序列社会は縦社会ですからね。縦割りの弊害が出ていますね。  

 

>欧米の場合、経営者を目指す人には必要な学位を求めますよね。>修士号とか博士号です。>そこで培われた知識やスキルが、仕事に必要だと考えられているからです。>東大卒や京大卒という学校歴、合格歴が求められることはありません。>一方で、日本の終身雇用、年功序列だと、まずはムラ社会のメンバーに入ることが重要。 

 

いわゆる序列社会の序列人間になることが重要ですね。   

 

>経営陣を目指す人も、みな現場のオペレーショナルな業務から入って、少しずつステップアップしていくしか道がない。

 

それは序列社会の掟のようなものですね。  

 

>日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行

 

日本の常識は世界の非常識ですね。

 

>「徹夜で麻雀できる人」が出世する社会 

 

まずは、なれ合いの練習ですね。

 

>小野 実際に某メガバンクで、土日に頑張って論文を書いて博士号を取得して、そのことを人事部に報告した直後から昇進が止まったという話を聞いたことがあります(笑)。 

 

周囲の人達のやっかみですか。苦労話ですね。これではとてもわが国は教育立国にはなれませんね。 

‘国内トップの東京大学は昨年と同じ36位。続く京都大学は54位と、昨年(65位)より順位を上げた。日本から200位以内に入ったのはこの2校だった。日本は全体ではランクイン数が多いが上位には食い込めていない’。(高校生新聞)   https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6768  

 

>冨山 結局、自分の頭で考える人はめんどくさい、と思われているんですよ。  

 

そうですね。わが国には人手不足の話はあっても、頭脳不足の話はありませんね。   

 

>部下として使いにくい、と。 

 

自分の頭で考える人を説得するには対話・議論が必要になりますからね。   

 

>変化の時代に対応するために思考力を評価して、エリートを選抜しようとすると、それに見合った学力を付けなければいけない。>これが、年功序列の仕組みと矛盾するわけです。 

 

そうですね。二本立ての仕組みは成り立ちませんね。喧嘩になります。   

 

>これまでの日本型経営のモデルでは、みんな一緒に横一線で競争する建前になっています。  

 

そうですね。どんぐりの背比べですね。’出る杭は打たれる’ ということです。      

 

>こうした組織に、高学歴の人が活躍できる舞台をつくるのは難しい。>少なくとも正社員は、組織内の階級的格差なしで競争して、ちょっとした差でだんだん選抜をしていくのが、基本です。>これが、組織全体のモチベーション維持にもうまく作用していた。  

 

昔からの日本人のモチベーションは ‘義理’ (序列関係から生じる義務) を果たすことでした。これは日本人にとってやりがいのある仕事です。その貢献度は序列人間たちにとって周知の事実になるからです。  

 

>だから、だいたいアメリカの大学院で学んだことなんて、すべて捨てろ、忘れろ、経営陣から言われるわけです。

 

そうですね。今浦島の悲哀ですね。   

 

>それで徹夜で麻雀に付き合えと。 >そうしないと本当に出世できなかったわけです(笑)。   

 

そうですね。序列昇進の夢は果たせませんね。二つの世界に住むことは難しいことですね。たたき上げが必要です。      

 

 

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超低学歴 4/8 

 

>心を鬼にして、むしろ早すぎるくらいのタイミングで転換を図れるようなリーダーじゃないと、結果的により多くの人を失業に追い込んでしまう。  

 

そうですね。意思の存在を知らない人達は、自己の意思を表明したり、他人の意思を尊重したりする習慣がない。意思なければ方法 (仕方) がない。だから、日本人の責任は義務ばかりということになる。これでは家畜と同じ境遇になり日本人の世界は残酷物語になる。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に 向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

>最後は絶対に一億総玉砕になりますから。  

 

そうですね。赤信号 みんなで渡れば怖くない。   

 

>実は日本企業はそんな一億総玉砕を何度も繰り返しているんです。>半導体玉砕」、「液晶玉砕」、「テレビ玉砕」……。>さすがに、これ以上は無理でしょう。 

 

歴史は繰り返す。わかっちゃいるけどやめられない。  

 

>小野 確かにそうですね。 >例えば東芝半導体原子力で玉砕しています。 >日立が、必死になるのは当然とも言えます。 

 

沖縄戦の次は、本土決戦ですね。最後の覚悟はできているのかな。自滅に後悔はないのかな。  

 

>日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行  

 

日本の常識は世界の非常識ですね。

 

>「本当の学力」が評価されないニッポン 

 

受験学力が向上しても、わが国で学問 (非現実) が興隆することはありませんね。日本人の励む学力とは処世術 (現実) のことですから、両者に関係はありません。ですから、わが国は教育立国にはなれませんね。  

 

>冨山 リーダーシップのモデルが、高度成長期からガラリと変わっているんです。>いまは大きな変革期ですから、リーダーは「自分が言ったこと」を「やってもらわない」といけない。 >つまり、いまのリーダーは社員への影響力が重要なんです。  

 

そうですね。

 

>しかも、人事権を振りかざす、いわゆる「ハードパワー」だけでは組織は動きません。>ソフトパワーとしての人望や人間性もまたとても大切です。>そのソフトパワー的なものと、合理性をどう両立させるかがポイントです。 

 

そうですね。  

 

>リーダーは必要な時は合理的で冷徹な決断をできなければいけない。 

 

そうですね。スポーツの団体競技に参加して人望を得て主将になるのが良い訓練になるでしょうね。   

 

>ただ、人望がないと「この野郎!」って恨まれて、本能寺の変で暗殺されちゃう。>だから、人望も必要です。>この両立ができないといまの時代のリーダー務まらない。>要は組織の中でリーダーをどう育成するか、どう選ぶかが重要になってくるわけです。  

 

団体競技で構成員に人気がなければ主将にはなれませんね。   

 

>小野 リーダーの育成は、高等教育とセットで考える必要がありますよね。現状では「学歴主義」というより「学校名主義」になっています。  

 

わが国では、学校のネイム・バリューが大切ですね。いわゆる ‘見栄と外聞の問題ですね。   

 

 

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超低学歴 3/8

 

>小野 日本企業のリーダーシップについて、ほかに冨山さんが問題だと思っていることはなんでしょうか。

>冨山 日本の経営者がよく使う言葉に「現場主義」というのがありますが、これが本当の意味での現場主義でなく、「現場迎合主義」になっていることが多い。>たとえばある業界で破壊的イノベーションがやってくるとします。>テレビを作っていればこれまで儲かっていたエレクトロニクス産業で、もはや新興国企業が台頭してきてテレビを組み立てていても儲からなくなるというようなケースです。>その時に、テレビの製造現場の人たちに「テレビの組み立てを止めようか」と聞いたら、誰も「そうですね、止めましょう」とは言いませんよね。>紙の新聞が売れないからと言って、「紙の新聞を止めるか」と言っても、紙の新聞を作っている人は誰も止めようとは言わないでしょう。>こういう現場の声を重視する経営者は、現場主義とは言いません、単なる現場迎合主義です。

>小野 苦しくても、現場の反対があっても、より収益の高いところに戦略的に事業をシフトしていく判断をするのが経営者。>それができないのならば、会社は消滅へと向かいます。

>冨山 そうです。>しかし、日本企業にはそういう決断ができない経営者が多い。  

 

そうですね。

日本人には意思がない。だから意思決定 (理性判断) には難渋します。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意決定 (盲目の判断) ならできる。だが、これは危険であるから普段は自重していますね。  

 

>現場というのは、言い換えると競争の最前線です。>最前線で何が起きているかをリアルに認識することが大事なのは当たり前です。>それと現場の思いに引きずられて決断ができないことはまったく違う。

>「一億総玉砕」しないために

>冨山 たとえば戦場を見に行って、海戦の状況を確認して、飛行機を導入すれば勝てると考えるのは現場主義です。>一方で長年苦労している水夫さん、一生懸命に機銃操作している兵士の気持ちになって作戦を継続するのが現場迎合主義です。>これは本当の現場主義ではありません。>「現場主義」と「現場迎合主義」を混同している経営者が日本的大企業には、やたらと多いんですよ。  

 

そうですね。現場主義は現実直視ですが、現実迎合主義は忖度 (推察) に頼るものですね。理解と忖度は似て非なるものですからね。

 

>小野 終身雇用と年功序列を前提にすると、経営者は現場にいるひとの人生を背負っている気分になりますよね。

 

わが国は序列社会で成り立っていますからね。序列人間の自己の序列に対する帰属意識はとりわけ強いものがありますね。      

 

>現場迎合主義では、その瞬間はいい上司のようにふるまえるかもしれませんが、長期的には雇用を守ることはできません。 

 

そうですね。鎮痛剤か麻薬のように一時的に作用しますね。  

 

>冨山 ずっと苦労して頑張っていることを知っているわけですから尚更なんでしょうね。>現場の人たちの貢献で日露戦争に勝った、現場の人たちのおかげで高度成長に貢献した……。>その思いはわかりますよ。 >成功体験があるので、それを支えた現場の気持ちに寄り添ってしまう。>ただ、ビジネスという戦争の現実はもっと厳しい。>そういう現場の情念を合理が超えていくのです。>中途半端に現場の情念に寄り添うと悲劇が起こります。  

 

そうですね。浪花節の時代は終わりましたね。     

 

>だから、戦局が変われば水兵さんたちを船から降ろしてあげればいいわけでしょう。>やる気と能力がある人には、パイロットになれよって言ってあげればいいわけです。>いま多くの日本企業がこうした課題に直面しているわけですが、まだおカネに余裕がある段階で早く組織転換をしたほうがいいと思います。>改革しようとすると、その瞬間はすごく現場にストレスがかかります。  

 

何事もお変わりのないのが何よりのこと’ ですからね。   

 

>しかし、それを恐れていては手遅れになってしまうのだから、タイミングは早ければ早いほうがいい。   

 

日本人には意思がない。だから、意思の内容を意識する人がいない。日本人の行動は事の次第と成り行きにより自然に開始される。だから、行動の開始が遅れます。      

フランク・ギブニー (Frank Gibney) 氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)  

 

 

 

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超低学歴 2/8 

 

>安倍晋三政権になってからようやく企業統治(コーポレート・ガバナンス)改革が本格的に始まりましたが、それまではすべて人のせいにしていた。>そもそも日本企業の低迷は、世界の時価総額ランキングをみると明らかです。>平成元年はかなりの数の日本企業が上位50社に入っていました。>でも平成の終わりには、せいぜいトヨタ自動車ぐらいじゃないですか。>この平成の大敗北で、さすがに自覚が生まれた。  

 

勝った勝った’ の負け戦から目を覚ましたのですね。  

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)  

 

>小野 「平成最後の時価総額ランキング。>日本と世界その差を生んだ30年とは?」(https://media.startup-db.com/research/marketcap-global)によると平成元年(1989年)は、世界の時価総額ランキングで、トップ50の中に、日本企業は32社入っていて、トップはNTTでした。>しかし、平成31年4月(2019年4月)になると、トップ50に入った日本企業はトヨタ自動車のみです。>トップ3は、アップル、マイクロソフトアマゾン・ドット・コムというデジタル革命の勝ち組のアメリカ企業ですね。

 

ミッドウェイの海戦に勝利したアメリカのようなものですね。   

 

>こうした危機感に直面してやっと、日本企業の中からコーポレートガバナンス改革で独立社会取締役を導入する企業も出てきました。>そして社外取締役で構成される指名委員会でトップを決める仕組みにした会社も出始めています。>これは、社長が次の社長を決めるというムラ社会の掟の心臓部を変える改革です。>ただ、こうした制度を入れている大企業は、まだ少数ですね。

>冨山 一桁パーセントでしょうね。>日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行   

 

日本の常識は世界の非常識ですね。

 

>日本のリーダーが「おかしな」理由

>小野 日本企業にとって「社外取締役の導入」や「指名委員会の設置」が進むことは重要な動きですが、ここからはきちんと定着することが大切になってくるのだと思います。>その点、せっかく仕組みを取り入れたにもかかわらず、きちんと機能していない企業も多いようです。  

 

システムに慣れていないからでしょうね。  

 

>よくよく聞いてみると、社外取締役がみなさん社長の「お友達」みたいなケースがありますよね。 

 

お友達内閣のようなものですか。なあなあ主義によるものですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

 

>形式は整っているけど、魂が入っていない。

 

わが国はいずこも同じですね。日本人の宗教には、儀式 (現実) があって教義 (非現実) がない。  

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。Seeing is believing. だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。 

 

>導入した企業の中にはそういう企業が多い印象があります。

>冨山 最初は仕方がないでしょうね。>まずは形式を先行させて、実質を整えていく。>長い目で見れば実質が変わった会社だけが生き残り、実質が変わらない会社は消えていくということでしょう。>そもそもリーダーシップが必要というのは、いまや大半の経営者が口にしています。  

 

そうですね。指導性が無くては、部下・助っ人達は働きようがないですね。   

 

>しかし、本質的に問題となるのはリーダーシップの中身であり、リーダーの在りようでしょう。>古き良き日本のリーダー像ってありますよね。>人望があって、みんなの気持ちがよくわかって、それで現場の状況を理解して……という良き上司像です。>もちろんいまでもそうした上司像は否定されませんが、それだけで良いのか、ということが問われているわけです。  

 

そうですね。布袋様の置物のようなリーダーでも良いのかということですね。  

 

 

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超低学歴 1/8

 

>日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行 >小野 一起, 冨山 和彦

(略)

>今回、経営共創基盤代表取締役CEO最高経営責任者)として様々な企業の再生や成長支援に取り組む日本を代表する経営コンサルタントで、新著『コロナショック・サバイバル 日本経済復興計画』を上梓したばかりの冨山和彦氏と、新作小説『よこどり 小説メガバンク人事抗争』でメガバンクの未来や組織の在りようなどを独自の視点で描き出した作家の小野一起氏が緊急対談を敢行。>日本企業に蔓延する「偉い人たちのおかしさ」について語り尽くした。

 

日本の常識は、世界の非常識ですからね。  

 

>「時代劇化」した日本企業

>小野 日本的経営での成功体験がアダになって、バブル崩壊とともに経営危機が顕在化した代表例がカネボウダイエーですね。  

 

成功体験はアダになる。しかし、失敗の体験は勉強になるでしょう。   

 

>冨山さんは、政府系の産業再生機構のCOO最高執行責任者)として、日本的な経営の無残な失敗とリアルに向き合うことになりました。

>冨山 特にカネボウは最も強固な日本的経営の会社で、日本的経営をつくった原型のひとつでもあるわけです。>運命共同体みたいに日本型経営を信じていたので、新しい時代には不適合な会社だったわけです。  

 

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)  

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

>しかし、もっとも強烈に変革の波にさらされたのは三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)や3C(自動車、カラーテレビ、クーラー)でかつて成功体験を味わったエレクトロニクス産業でしょう。>半導体で日本が世界を席巻したのも成功体験になっていると思いますが、せいぜい1990年代の話です。>もう時代劇の世界ですよ。 

 

今は昔’ の物語ですね。

 

>小野 そうした危機に直面したエレクトロニクス産業の中には変革の波に乗れないところも出てきていますが、一方、日立製作所などは中西宏明会長らのイニシアディブで強烈な改革が始まっていますね。>中西さんは冨山さんとの共著『社長の条件』の中で日立の人事改革に言及されていますが、典型的な日本的大企業と思われていた日立で大胆な組織改革がここまで進んでいたのかと驚きました。>グローバル化に対応するために年功序列を廃止し、トップの選定も社外取締役が主導して、30代を含む50人近い候補者とやり取りしながら選定作業をしているという話は刺激的でした。 

 

日立が ’よそ者’・外人・非国民などを受け入れるということですね。刺激的ですね。   

 

>逆に言えば、日立のような企業でもこのくらいの改革に取り組まなければ生き残れないということですね。>日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行  

 

日本の常識は世界の非常識ですね。超低学歴は日本人のお得意の派閥人事のお陰ですね。 

 

>社長が「次の社長」を決めるというムラ社会

>冨山 遅ればせながら、だと思います。>こうした日本的経営の問題点については気づく人は気づき、分かっている人は分かっていました。 >たとえばスタンフォード大学名誉教授の故・青木昌彦さんは、以前から課題を指摘していた。>それなのに、たとえばカネボウの経営が傾いたときなど、日本の経済界では「あれは変な経営者がいたからだ」と説明してしまう人が大半だったんです。

>小野 日本的な経営が構造的な問題を抱えているとは考えずに、カネボウが個別に経営問題を抱えていると説明されてしまった。  

 

根本は日本語の言語的な構造の問題ですね。言語は伝達の手段でると同時に思考の手段でもありますからね。  

 

>冨山 日本的経営の普遍的な病理について経済界全体が認め始めたのは、本当にごく最近のことです。 

 

日本語の普遍的な病理ですね。  

 

 

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出世する人たち

 

>日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…! >世界に「逆行」するおかしな人事が横行 >小野 一起, 冨山 和彦

>かつては世界から称賛された「日本的経営」だが、もはや時代遅れの産物と化している。 

 

そうですね。日本的経営は、人間序列による協力の賜物でしたね。序列による努力は個性に乏しく、時代の変化に対応しきれなくなりましたね。

 

>それにもかかわらず、多くの経営者はいまだ過去の成功体験にすがりつき、大きく会社を変化させることをできずにいる。 

 

そうですね。    

人間序列は日本語の特性に基づいていますから、言語を変化させるのが容易でないですね。    

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料とされている。

日本人の礼儀作法は、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。’人を見損なってはいけない’ という想いが強く脅迫観念の域に達しているために、堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。

判断の基礎が社会にあって、個人にない。  

 

>日本企業はいまや世界の時価総額トップランキングに入れないほどに凋落したが、その原因は会社の上層部で決断できずにいる「だらしない」トップたち、社長や役員など幹部たちにあると指摘する声は多い。

 

だらしのない幹部’ は ‘だら幹’ というのですね。

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

 

>いま日本のトップ層たちが直面している本質的な問題とはなにか。>では、日本企業はいま本当はどんな改革に踏み出すべきなのか――。

 

日本のトップ層たちの本質的な問題は使用言語 (日本語) によるものでしょう。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。時制を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

(略)

 

 

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東大卒 

 

>360983 仕事がデキない東大卒

>匿名希望        20/10/14 PM10

>受験生のころに頭のなかに思い描いていた理想の自分と、東大に入ってから突きつけられる現実――そのギャップを認識したうえで、「自分は決して特別な人間なんかじゃない」と開き直ることができれば気は楽になる。

 

そうですね。他にも立派な大学は沢山ありますからね。日本人の ‘井の中の蛙精神は今も昔も変わりませんね。     

国内トップの東京大学は昨年と同じ36位。続く京都大学は54位と、昨年(65位)より順位を上げた。日本から200位以内に入ったのはこの2校だった。日本は全体ではランクイン数が多いが上位には食い込めていない’。(高校生新聞)   https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6768 

 

>さらに「せめて、いまの自分にできることを一生懸命にやろう」とまで考えが至れば、前向きに生きていける。

> 僕にかぎらず、大半の凡庸な東大卒業生は、そういう気持ちの折り合いをつけて自らの人生を生きているはずだ。

>しかし、ごく一部に、現実を受け止められず、かといって努力で現実を克服しようともせず、東大以外の大学とその学生・卒業生を見下すことで、精神の安定を保とうとするものたちもいる。

 

そうですね。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>それが、「プライド肥大型」の東大卒だ。 

 

東大卒以外の日本人も例外なく序列社会に住んでいて、堅ぐるしい生活を強いられていますね。   

 

>彼らのものの見方は、「平家にあらずんば人にあらず」ならぬ「東大卒にあらずんば人にあらず」である。  

 

日本人には昔からそういう性質があったのですね。今の時代に国際社会に順応するのが難しいですね。36位は気にならないところですかね。鈍な日本人の価値観のゆがみですね。         

 

>このような特権意識が形成されるのに理由がないわけではない。>事の起こりは、彼らが東大受験生だった時期だ。> 一般的に東大を受験しようとするとき、高校の授業や独学では情報量が足りない。>そのため受験生の多くは現役・浪人を問わず予備校に通うことになるのだが、志望校を東大1本に絞って専用の試験対策をとることで勉強の効率は大幅にあがるため、たいていは各予備校に設置された「東大受験コース」を受講する。> 営利企業である予備校は受験生に最大の成果を与えるためにカンニング以外のことはなんでも指導する。 

 

大受験生は、別に学問 (非現実) をしているわけではありませんからね。処世術 (現実) の習得に励んでいるだけですからね。人生における努力の方向が間違っていますね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。自分たちの浅はかさを論じる能力もない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。時制を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

(略)

 

 

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