同じ構図 3/3

 

> 一方、米国の場合、NCR(アメリカ合衆国原子力規制委員会)やCDC(アメリカ疾病予防管理センター)などの組織は、専門家集団の組織で、トップにはその道の専門家(原子力工学の博士号を持った人や医者)がおり、そこが専門知識と強い権限を持って事故や大流行に対処する仕組みになっています。

 

わが国もアメリカに見習うべきですね。専門家の指導に皆が従うべきですね。専門性のないわが国の人間序列が問題の核心になっているのでしょうね。

 

>ちなみに、この問題と、私が常日頃から指摘している日本のITゼネコン問題は、根っこは同じところにあると思います。>簡単には人を解雇できない解雇規制と終身雇用・年功序列制度が、専門職の人を要所に置くことを嫌い、霞ヶ関の官僚に代表される「専門知識はないけれど、事務処理能力や管理能力は高い人々」を重要なポストに置き、専門家は必要に応じて外部から調達する、というシステムが日本のあらゆる所に作られてしまっているのです。

 

そうですね。わが国は同次元序列の序列社会でできていますね。大日本帝国の陸軍と海軍も協力し合わなかった。

 

> 今回の事件を受け、日本にも米国のCDCに相当する組織が必要という意見が聞かれますが、組織作りを官僚たちに任せておくと、厚労省からの出向者ばかりで構成される「非専門家集団」を作りかねないので、注意が必要です。

 

そうですね。知識は無くても権力は握りたい。それが序列人間の悪いところです。日本語の ‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的上下判断のなせる業です。

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。

意思疎通は無いが、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。

意思決定 (理性判断) はできないが、恣意決定 (盲目の判断) をする。

だから、素人の恣意決定にも周囲の違和感がない。それで非専門家の集団が存続します。

専門性を重んじない習慣が民度の低い社会を形成しています。危機に対する対処が難しい。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。

ですから、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な上下判断ができないと、日本語の日常会話にも差支えが出るほどです。序列関係が決まらないと、口を利くのも難しい。だから、よそよそしい人間関係になります。

その上、礼儀作法も序列作法になっているので、世俗的な上下判断 (序列判断) に疎い人は礼儀正しい日本人にはなれません。

下の者ほど割の悪い扱いを受けることになりますので、誰もが向上心を持つことになります。上下作法を間違えると厳しい祟り (仕返し) が待ち受けております。ですから、序列関係は片時も忘れることができません。

人を見損なってはいけないという想いが高じて、強迫観念の域に達しております。ですから、日本人は堅ぐるしい日常生活を送っています。

序列人間でないと日本人に信用されません。ですから、非国民・外人・棄民とは呼ばれたくないのです。序列が頼りですから移民して序列のない社会に入ると心身ともに疲れ果てます。ですから、この島国に閉じこもっていたいのです。

 

>(後略)

>引用:リンク

>「mag2news」 

 

 

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