対米戦争

 

>359448 対米戦争敗戦の日に想う。昔も今も、マスコミ(大本営報道)に従順な日本人 >持国天 ( 古稀超え ) 20/08/20 PM10

>終戦の日が来るたびに思い起す。

>経営者として背筋を伸ばした生き方をしていたのに、終戦の日はいつも、父親が会社の片隅でひとり腰を折って黙祷をしていた。 >そのころの私にはその意味が良く分からなかったが、戦時体制下で要職にあったらしいことを後に知った。

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

 

(略)

>・既に日本は広島と長崎に原爆を投下され、8月10日には「天皇による統治の大権に変更が無い」ことを条件に、ポツダム宣言を受け入れた無条件降伏を伝達していた。  

 

犬死の人が大量に出る前に、わが国は手を挙げるべきでしたね。  

 

>対米戦争に舵を切った昭和天皇は、敗戦時の対応でもその統治責任は極めて重い。 

 

そうですね。だが、日本人には意思がない。意思の無い人間は責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。 

 

>朝日新聞などの大マスコミに扇動され、体制翼賛世論の下で日本人は天皇制の奴隷と貶められ、黙々と戦地に送り込まれて死んだ。 

 

日本人は序列人間ですからね。世俗の序列順位に従う人間は、天皇制の奴隷になります。  

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから、日本人には世俗的な上下判断が大切である。上下判断 (序列判断) のできない者は、日本語の日常会話にも差支えが出るほどである。  

 

>「聞けわだつみの声」を読んだ思春期、学徒出陣で戦地に送り込まれ、特攻に散った若者達の志に心熱くしたが、振り返れば、「ビルマの竪琴」に描かれた兵隊も戦地で特攻に殉じた学徒兵も、みな悲しみにまみれた犬死であった。 

 

人の命に価値は無かった。だから犬死も公認されていました。  

 

>・今回のコロナ騒動でも明らかだ、マスコミが扇動するドグマに従い、悲しくなるほど日本人は思考停止に嵌ってしまった。 

 

日本語では、非現実 (考え) の内容は文章にならない。非現実の内容は頭の中に存在するので見ることができない。見ることのできない内容は嘘になる。誰しも嘘はつきたくない。だから、日本人は自己の非現実 (考え) の内容を発言しない。これが、思考停止の状態である。    

 

>巷のインタビューではまともそうに見える青年達ですら、マスコミが意図する模範解答に終始する。  

 

模範解答を手に入れるのが日本人の処世術ですからね。思考を停止している人は、受け売り専門の人になる。  

 

>マスコミの取材映像から、自分の頭で考えて事実を見極めようとした若者には出会ったことがない。 

 

日本人は現実を直視していない。だから、事実を見極めることができない。忖度 (推察) を使って歌詠みになっている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の知的な対話は成立しない。  

 

>それよりもタクシーの乗務員をされている年配層や、保健所対策とマスコミ攻撃から会社を守ろうとする経営層には、自分の頭で考え抜いた疑問が出てくる。  

 

現実は、模範解答のない世界ですからね。全ての考えは文章になる。矛盾の含まれていない文章は、全て正しい考えを示している。考えの内容は、人様々である。 

 

>・先般の森友事件で自死した公務員の夫人から告訴までされた官僚トップは、センター試験の一期生だ。

 

試験は暗記力の勝負ですからね。思考停止をしていても問題はありません。   

 

>社会の仕組みに何の疑義を発することなく、権力の奴隷のような、思考停止の従順ぶりは、見たくない姿だった。   

 

日本人には世界観がない。前の世界、今の世界、これからの世界の内容を並べて論ずる知恵がない。未来社会の建設に対する努力が欠けている。思考を停止しているので、自分自身には考えがない。他者に従う従順ぶりはその方策 (処世術) になっている。