サル化

 

>355081 過去を振り返らず目先的な対応のみ=サル化する世界のままでは何も突破できず滅亡していくのみ!

>どうなる資本主義 ( 27 会社員 ) 20/03/28 PM07 【印刷用へ】 

>まさに朝TVで見る国会答弁やニュースは、過去の経験も活かさず(取り組んでいても浅はか)目先的な対応のみ。嘘をついてもバレなきゃ平気の世界になっている。

 

それを ‘その場主義’ というのですかね。’後は野となれ山となれ’ か。

 

>これまで色々な壁に当たりながら進化してきた私たちですが、ここで追求するために少しくらい苦しむことさえやりたがらない(=実現の意思がない)ままでは退化→滅亡の道しか残されていない危機感を感じました。

 

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 無意思の日本人は仕方がないから、無為無策でいる。座して死を待つのか。危機感を感じます。

 

> 『サル化する世界』についてのインタビュー >リンク

>―――――以下、リンクより引用――――――

>いくつかのメディアから新刊『サル化する世界』についてのインタビューがあったので、まとめて再録。

(略)

>  イノベーションというのは未来にぼんやりとした手応えを感じる直感力なしには成立しません。>「何だか知らないけれど、この先に『いいこと』がありそうな気がする」という直感に導かれてはじめてあらゆる創造は可能になります。

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

非現実 (考え) の内容を現実の内容として実現できれば、それは創造力を発揮したことになります。

英文法には時制というものがあるので、非現実 (考え) の内容を文章として表現できます。

日本語の文法には時制がないので、考え (非現実) の内容を文章にすることができません。

日本人の判断によれば、見ることのできる内容は ‘本当’ の事、見ることのできない内容は ‘嘘’ である。

誰しも見て来たような嘘をつく人間にはなりたくない。だから、自分の考え (非現実) は口にしない。これが則ち思考停止の状態です。

 

>でも、そのためには「この先」に、まだ現実になっていない時間に指先が届かなければなりません。

 

そうですね。文法に時制があれば、遠い未来に対しても指先が届きます。

 

>「この先」という言葉に何のリアリティーも感じられない人間に何かを新しく創り出す能力が育つわけがない。

 

文法に時制があれば非現実 (考え) の内容は脳裏に焼き付きますから確信できます。

 

>○ 社会が脱サル化するために必要なこととは?

>  サル化した人間の特徴は「過去を反省しない」「未来に対して見通しを持たない」ことです。

 

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章の内容として表現される。非現実の世界は、それぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として陳述される。考え (非現実) の無い人は、未来の内容も過去の内容も想定外になっている。だから、サル化しているのでしょうね。

 

>だから、悔恨もないし不安もない。

 

考えの内容が脳裏に存在しないと後悔も不安もありませんね。あるのは眼前の事実だけですね。

 

>どれほど失敗しても同じ失敗を繰り返すし、「こんなことを続けていたらそのうちたいへんなこと」になるとわかっていても、「こんなこと」を続ける。

 

そうですね。この道はいつか来た道。ああ、そうだよ。歴史は繰り返す。

 

> 「前にこれで失敗して手痛い思いをしたこと」も「そのうち起こるかもしれないたいへんなこと」にもリアリティーを感じることができない。

 

そうですね。一寸先は闇である。過去の想いは疾く風化して幻となる。

 

>  こんな生きづらい時代ですから、「過去のことは忘れたい 未来のことは考えたくない」と思ってしまうことは止められません。>でも、「後悔に苛まれたくない、不安に怯えたくない」という人は、それと同時に、遠い記憶の中を逍遥したり、未来に夢を描いたりすることもあきらめなければならない。

 

後悔に苛まれたくないならば、贖罪の宗教 (キリスト教) が役立ちますね。深刻な反省が得られます。時と場合によっては、人生の方向が変わることがあります。不安に怯えたくないならば、’備えあれば憂いなし’の道をたどることですね。’力は正義である’ (Might is right.) ことを信じて、軍事大国の道を歩むか。

 

>それがどれほど多くのものを失うことなのか、それについては少し立ち止まって考えた方がいいと思います。

 

そうですね。我々は考える人 (the thinking man) になる必要がありますね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

>―――――――――――――――

>以上 

 

 

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