幼児的 2/2

 

>ルース・ベネディクトは、『菊と刀(The Chrysanthemum And the Sword)』で、恩を着せられることによる義理が、日本人の意識を強く制約していることを指摘した。  

 

そうですね。わが国は義理と人情の世界ですからね。序列があれば、下位の者は上位の者に恩を着る (庇護を受ける)ことになります。義理 (序列関係による義務) が生じます。義理立てが強く日本人の意識を制約していますね。    

 

(略)

> 菊と刀』は、日本の文化と欧米の文化の違いを「恥の文化」と「罪の文化」の違いとして説明したことでも有名である。  

 

そうですね。

わが国は序列社会ですから、下と見られたものには ‘恥’ がありますね。

欧米は意思を働らかせる能動的な社会ですから、個人に加害者意識があって ‘罪’ の意識に苛まれています。  

 

>日本の経営者が「世間をお騒がせして、まことに申し訳ありません」と言って辞職するのは、日本の文化が恥の文化だからである。 

 

そうですね。失敗は日本人の恥ですね。  

 

>罪の文化の視点からすれば、罪がないのなら辞職する必要はないということになるが、恥の文化の視点からすれば、世間を騒がせて恥ずかしいということが、引っ込む口実として認められる。 

 

そうですね。

英米の社会では、人が罪を感じれば行為者は有罪になります。 

わが国では人間に意思がない。だから、全ての行為に責任が生じない。責任のない行為には罪もない。  

 

> 恥とは、他者という鏡に映し出された醜い自我に対する不安の感情である。>その際、醜いかどうかに普遍的な基準はない。

 

絶対基準が立てられないから、比較は相対基準になりますね。  

 

>周りが色白のお嬢さんばかりなら、一人だけガングロ・ヤマンバでいることは恥ずかしいことだし、周りが不良少女ばかりならば、一人だけ良い子ぶりっ子でいることは恥ずかしい。  

 

人の振り見て我がふり直せ’ ですかね。没個性的を求める感情ですね。個人主義の対極にありますね。  

 

>このように、恥は、鏡像的な他者との相対的な関係で決まる、浮き上がることを恐れる感情に過ぎない。  

 

出る杭は打たれる’ ですかね。   

 

>これに対して、罪は、超越的で普遍的な規範に違反したときの意識である。

 

そうですね。加害者意識が高じると罪の意識になりますね。素人の陪審員でも判断できるのが罪の意識ですね。     

 

>罪の文化の人は、もし自分が正しいことをしていると確信しているならば、周囲から笑われても、恥ずかしいとは思わずに、むしろ周囲が無知なのだと考える。  

 

そうですね。あくまでも個人判断が中心ですね。わが国には、   

周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)   

 

>日本人には、唯一神から与えられた、超越的で普遍的な規範はない。

 

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

 

>だから、しばしば主義主張に節操がない。

 

そうですね。

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)    

 

>かつて鬼畜米英を叫んでいた日本人が、一転して親米的になったのを見て、マッカーサーは、日本人の精神年齢が12歳だと言ったが、このように、罪の文化から見れば、恥の文化は幼児的に見える。  

 

恥の文化には基準が立てられない。それは感情ですから。  

 

>アリストテレスも、『ニコマコス倫理学』の中で、恥は「若年者にふさわしい感情」だと書いている。  

 

恥は感情ですね。  

 

>なぜ日本人は幼児的なのか②~「甘え」の構造~へ続く。 

>281587 なぜ日本人は幼児的なのか②~「甘え」の構造~  >mosimobox ( 20代 鹿児島 会社員 ) 13/09/26 PM03 【印刷用へ】 

>なぜ日本人は幼児的なのか①~日本文化のネオテニー的性格~の続きです。

> 日本文化の幼児性を、もっと直截に「甘え」という言葉で指摘したのが、土居健郎の『「甘え」の構造』である。 >もちろん、甘えるという現象は、日本人だけに見られるわけではない。 >どこの国でも、幼児は母親に甘えるものだ。 

 

そうですね。アニマルにも見られますね。   

 

>だが、日本では、幼児がいつまでも母親に甘え続けることができるのに対して、多くの国では、子供たちは、父親によって、精神的な乳離れを強要される。 

 

インディペンデント’ (自主・独立) は、アメリカ人の子供に対する褒め言葉ですね。  

 

>では、なぜ日本人は、母親に甘え続けることが許されるのだろうか。 

 

それは母親が自分の幼児に対して自分への帰属意識を強く求めているからでしょう。そこには ‘あるべき姿’ (things as they should be) が存在しません。   

 

>なぜ、日本の文化は幼児的な段階に留まっているのか。  

 

それは日本人が自国に対して強い帰属意識を抱いているからでしょう。  

 

(略)

 

 

.