伊勢雅臣氏 1/5

 

>No.835 日本「軍国主義」というプロパガンダの創作者たち

>戦後:占領下の戦い Media Watch 報道と政治宣伝  > 70年前に米占領軍が創作したプロパガンダを、今も中朝韓や偏向マスコミが使っている。

 

そうですね。中朝韓や偏向マスコミは自己利益のためにただ悪乗りしているのでしょうかね。真相の理解の方はどの程度のものでしょうかね。  

 

>■転送歓迎■ H26.02.09 ■ 45,239 Copies ■ 3,802,589 Views

>■1.中国と国内偏向マスコミによる日本「軍国主義」批判  > 中国の世界各国に駐在する大使が、現地メディアに安倍首相の靖国参拝を批判し、「日本は軍国主義に戻りつつある」とする記事を投稿している。 >インタビューも含めると、74カ国・地域に上るという[1]。 > 安倍政権に対して、具体的な対抗手段を持たない習近平政権の焦りが窺えるが、「軍国主義」と批判する具体的根拠が靖国参拝だけでは、説得力はまるでない。  

 

靖国参拝は、わが国の軍国主義のシンボルになっていますね。可視化の象徴のようなものですね。    

 

> 我が外務省も負けていない。 >中国が急速に軍備拡張を行っていることや、南シナ海で力による領土・領海の現状変更を迫っていることなど、具体例を挙げて「国際社会にとって危険なのはどちらか」と訴える方針を出し、すでに46カ国・地域で反論している。 

 

中国は伝統的な覇者の国ですからね。周辺諸国に対して覇権の確立を企てる中華思想の国です。覇者の物語は中国人の愛読書でもあります。  

 

> しかし、中国の「軍国主義」批判に同調して、安倍政権の足を引っ張ろうとしているのが、国内の偏向マスコミである。 >特定秘密保護法案に関しては、次のようなヒステリックな報道が行われた。: >「戦中に戻すな」(朝日新聞)、 >「暗黒国家 開いた扉 歴史忘れたのか」(毎日新聞) > 今回は、このような「軍国主義」批判が、どのような意図と経緯で創り出されたのかを見てみよう。 

 

それは非常に興味をそそる企画ですね。  

 

>■2.「戦争贖罪意識」「戦争有罪性」を植えつけよ > 昭和20(1945)年10月・11月のGHQ(占領軍総司令部)月報には、次のような一節がある。

>__________

> 占領軍が東京入りしたとき、日本人のあいだには戦争贖罪(しょくざい)意識はまったくといっていいほど存在しなかった。 >彼らは日本を戦争に導いた歩み、敗北の原因、兵士の侵した残虐行為を知らず、道徳的過失の感情はほとんどなかった。 >日本の敗北は単に産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信念が行き渡っていた。[2,p91]  

 

そうですね。わが国民は大本営の発表ばかりを与えられて情報に不足していましたね。

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)  

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> 当時の日本国民にとって、大東亜戦争は石油の禁輸などで米国に追い詰められてやむなく立ち上がった自存自衛の戦争だし、各地の大空襲や原爆による一般市民無差別殺傷という明白な戦争犯罪を目の当たりにしていた。 >「戦争贖罪意識」など持つわけがない。 

 

意思の無い人には罪がない。日本人には意思がない。だから罪の意識もない。謝罪だの贖罪などおよそ罪と名のつく話とは縁がない。日本の宗教もそのようになっている。だから、日本人に対する罪の話は、カエルの面に小便となる。 

 

> 同年10月2日、民間情報教育局(CIE)の設立を命じた一般司令第4号が出された。 >この中には、以下の目的が記されていた。

>__________

> 日本の敗戦の真実、日本の戦争有罪性、現在および将来の日本の災害と苦難に対する軍国主義者の責任、連合国による軍事占領の理由と目的を、すべてのレベルの日本公衆に周知させる[2,p95]  

 

[意思について] 日本人には意思がない。意思は英語では未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。 Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。 ‘生きる力’ (vitality) が不足している。困った時には他力本願・神頼みになる。

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

[意思と責任] 日本人には意思がない。意思の無い人には責任もない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について次の如く述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り) (2/5に続く)   

 

 

 

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